お読みいただくにあたって
湘高新聞復刻委員会
母校湘南高校は1921(大正10)年4月の開校以来、本年で85周年を迎えることとなり、その記念行事の一環として「湘高新聞(湘中新聞を含む)復刻版」の刊行が湘友会の支援を得て決まりました。
この復刻版の作成にあたり結成された「湘高新聞復刻委員会」では、編集の基本的な考え方を次のようにまとめました。
今回の復刻版は単に「湘高新聞」の複製をつくるというだけでなく、新聞が発行された時代の社会の動きと、その中で教育行政がどう変化し、
学校側がそれをどう受け止めて対応したかという二つの大きい流れをつかんだうえで新聞を読むことでその時の編集の意図や狙いが正しく理解できるのではないか。
高校の新聞といえども時代の流れには敏感であり無縁ではないのであって、復刻された新聞をただ読むだけでは新聞の主張をきちんと受け止め得たとはいえないのではないか。
高校生の目で社会の動きをどう捉え、どう行動しようとしていたのか、という点が読み取れるような復刻版にしたいというのが委員会の基本的な考え方と方向でした。
そこで復刻本紙とあわせ「世相・社会の動き・学校の歩み・湘高新聞の主な記事」という4つの視点で全体を俯瞰できる「年譜」を作成することとしました。
- 「世相」はその当時の一般市民社会の様相を多面的にとらえてみたもので、その時代のイメージと考えていただいてよいと思います。
- 「社会の動き」は世界や日本の歴史的な事柄を、その事実の重要性や話題性から、まんべんなく拾うという教科書的なものではなく、
新聞の編集に影響があったと思われる時代的背景の事柄を委員会の判断でとりあげたものです。
したがって、「あれはどうした…」、「こんなことが…」といった読者の反応も当然考えられるところです。
- 「学校の歩み」は過去に発行された創立記念誌「湘南」6冊の年譜を中心に抜粋したものです。しかし、この記念誌の記述は同じ事柄であっても、発行年度によりその表現や時期にバラツキがあるものが見られ、それらについては可能な限りの修正を行いました。
また、運動部、文化部の各種競技会の成績はスペースの関係上、県大会での優勝以上としました。
- 「湘高新聞の主な記事」は各号の見出しを中心に、主要な記事をピックアップしました。発行されていながら主要記事が掲載されていない号は特記すべき記事がなかったものです。
収録した「湘中新聞」は1947(昭和22)年11月のワラ半紙・ガリ版2頁・壁新聞の創刊号から、占領軍の圧力に配慮して配布を断念した「赤木先生特集号」の3号まで全紙の収録ができました。
一方、「湘高新聞」は48(昭和23)年10月の「刷新第1号から2005(平成17)年10月の第236号までのうち230紙(6紙は所在不明のため未収録)と号外の一部です。
ただ58(昭和33)年の火災により、それまでの資料が全て焼失したにもかかわらず、ここまでそろえることができたのは多くの方々の協力のおかげです。
ガリ版は「湘高新聞」第6号まで続き、活版になったのは1949(昭和24)年3月の第7号からでした。
新聞のサイズは「湘中新聞」の時代はA3やB5、タブロイド判(通常の新聞の半分の大きさ)などさまざまで、用紙もワラ半紙などと終戦直後の物資不足を彷佛とさせるものがあります。
「湘高新聞」は55(昭和30)年ごろまではタブロイド判が主体で、以降はほとんどがブランケット判(通常の新聞のサイズ)となっており、ときおりタブロイド判が混じるという流れです。
用紙も50(昭和25)年に印刷所を神奈川新聞社にして以来、新聞用紙になっています。今回の復刻版は各種サイズを全てB4判と致しました。
復刻本紙の枠外の「表彰注記」はその新聞が各種コンクールで入賞したことを示しています。
また、「湘中新聞」創刊の47(昭和22)年から「湘高新聞」100号の63(昭和38)年頃までは年間6〜8回発行しており、部員も20人ほどいましたが、
60(昭和35)年代の頃から始まったクラブ活動衰退傾向も影響してか部員も徐々に減少してしまったようです。
そのため、年間発行回数も減り始め、65(昭和40)年以降は年4回、さらに3回、2回、1回となり、ついに2001(平成13)年から03(平成15)年の3年間は発行されず、
04(平成16)年には1回という事態に至りました。
昨年は一時期、部長1人で頑張ったときもあったものの幸い現在は10人ほどで活動中のようです。
高校生活におけるクラブ活動と学校新聞が在校生に与える意義が再認識され往時の姿を取り戻し、さらなる発展をするよう祈っています。
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